『双葉町・ある牛飼いの記録』

お久しぶりです。『原発の町を追われて』のパート3ができました!
7月22日(土)東京・田町交通ビルで開催される「レイバー映画祭2017」で初上映します。(時間は11時10分から)
ぜひ見に来てください!!

埼玉県にある旧騎西高校に避難してきた、福島県双葉町の人々を追い続けて早6年。
三年前に騎西高校は閉鎖しましたが、双葉町は依然帰還困難区域。そればかりか中間貯蔵施設の建設が予定されていて、帰れるどころではありません。「埼玉は第二の故郷だ」といって残り続ける人、「双葉に少しでも近いところがいい」と福島に移る人、さまざまですが、ふるさとの我が家ではない場所で今までと違った生活を余儀なくされていることは同じ。放射能による被ばくへの不安というだけが問題ではないのです。
今回の映画は、騎西高校の近くで農業を営んでいる鵜沼久江さんを中心につくりました。久江さんは福島第一原発のすぐ近くで、50頭の牛を飼っていましたが、牛たちをつれて避難することはできず、かわりに野菜作りを始めました。殺処分に反対し、警戒区域の中で牛を飼い続ける「希望の牧場」の吉沢正巳など、素晴らしい牛飼いもいますが、ほとんどの牛飼いたちは涙をのんで牛たちを手放さざるをえなかった。久江さんもその一人です。
久江さんは、一作目、二作目に出てくれた鵜沼友恵さんのお母さんです。私は友恵さんに「映画を作るからには、一時の流行事で終わらせないで。私たち避難民がどうやって生活を取り戻していくのかを記録し続けて」と言われました。それで、久江さんにカメラを向け始めたのです。
双葉町のことがメディアに取り上げられることは、ほとんどなくなりましたが、避難先で必死になって生き直しをしている人たちがいることを知ってほしい。
ぜひ観に来てください。

http://www.labornetjp.org/news/2017/0722kokuti

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あれから6年

3月11日。埼玉県加須市にある双葉町社会福祉協議会の建物で、自治会主催の慰霊式が行われました。
午前十時から集まった人たちと共に、これまでテレビで放送された双葉町特集の録画を観ながら、話に花が咲きました。
私は埼玉に避難してきた双葉の人たちが身近なところにいてくれるので、3・11は今も日常の中にある気がしています。とはいっても、事故前と変わらぬ生活をしている私と、何もかも双葉に置いてきてしまった人たちとの間には、大きな違いがある。そのことに気づくとき、笑いながら話してくれる双葉の人たちにとって「ともに生きてるつもりの私」がどう映っているのだろうかと、ふと考えてしまいます。

双葉町の方角に向かって祈る

双葉町の方角に向かって祈る

双葉町社会福祉協議会の入口横に設置された献花台

「六年たつと、いろんなことが思い浮かぶなあ」
始めの数年間は時間の感覚がなかったし、考える余裕もなかった。今だからこそ、話したくなったという人も。
震災直後のこと。原発が誘致された頃のこと。
記憶の中にあることを語りつなぐことができたら。
双葉という町は、決してなくなることはないのだと思います。

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ラジオで伝える双葉町の6年 

震災の年の四月。1400人の双葉町民の避難所となった旧騎西高校

震災の年の四月。1400人の双葉町民の避難所となった旧騎西高校

毎年3・11になると、関東に住む私たちも、あの時のことがよみがえってきます。
体験したことのない大きな揺れ、電車が止まって明け方まで家路を歩いたこと、計画停電で町の中が暗かったこと。
多くの人たちが日常を取り戻して行き、事態の重大さの記憶も薄らいでいく中、
今も「帰宅困難」のままの人たちがいます。
3月11日にNHKラジオで、東日本大震災と福島第一原発の事故から6年の、双葉町を特集することになり、
私は取材とコメントで参加しました。
ラジオなのでもちろん音声のみですが、これまでに私が出会った双葉町民の、思いがあふれた50分のドキュメンタリーです。

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2017年3月11日(土)16時05分~16時55分 
NHKラジオ第一
ラジオドキュメント『かなわぬ願いをかかえたままで~市民が見つめた双葉町・避難者の六年』
構成・ナレーション 鹿野睦 
取材・コメント 堀切さとみ
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原発避難という、誰も経験したことのないことに直面させられてしまった人々。
彼らは取り残された人たちなのではなく、私たちの一歩先を歩いている。
私はそう思っています。

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レイバーネットТV福島特集を海外へ

2月24日に放送したオープンチャンネル「あれから五年 福島からの避難者は今」
友人に英語字幕をつけてもらい、短縮バージョン(28分)をYouTubeにアップしました。

福島での異常出産、県立医大が胎児のデータを収集していること、
避難先で受けた差別など、マスコミが避けてきた問題を、
二人の避難者が意を決して 語ってくれています。

風評をまき散らすなと言われようと、「疑いをもっている」という事実を隠すことはできない。
今語らなければなかったことにされてしまう。そんな決意が伝わってきます。

チェルノブイリの後を追うかのような事実。海外からの反響も多いです。
ぜひご覧ください。

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フクシマから五年~オープンチャンネル

あの3・11からまもなく五年になろうとしてる。
新聞の一面もテレビの特番も「あれから五年」ラッシュだ。
福島第一原発が犯した罪はあまりに大きく、五年で解消されるものではない。
これからどんな影響が出てくるのかわからないけれど、
長い長い歴史のスタートラインなのだ。
2020年に向けて「五輪復興」なんて言って、責任をうやむやにして
風化させたいのは見え見えだけど、
だからこそ避難者がモノを言っていく必要がある。
言う人がいれば、記録に残すことができる。
地球上のあらゆる生物に対して、とんでもないことをしたんだってこと。
その責任から逃れられる人なんていないんだってことを
五年たった今、あらためて考えたい。
淡々と双葉町を追いつづけ、町の人の声に自分自身を重ね合わせた五年だった私が、
初めてレイバーネットТVというインターネットテレビで
番組の企画進行に挑戦します。
ぜひご覧ください!

●労働者の 労働者による 労働者のための
  レイバーネットTV 第98号放送
    オープンチャンネル企画
 「あれから5年~福島からの避難者はいま」

・日時 2016年2月24日(水)20:00~21:00
・視聴アドレス  http://www.labornetjp.org/tv
・配信場所   バンブースタジオ(竹林閣)
  http://vpress.la.coocan.jp/bamboo.html
   (地下鉄「新宿三丁目駅」E1出口近く)

○ゲスト
・木田節子さん・・・富岡町から茨城県に避難
・鵜沼久江さん・・・双葉町から埼玉県に避難
○映像
 3分ビデオ「帰れない『ふるさと』」(作・高木成幸)
 *作者は浪江町出身の写真家でスタジオに来てくれます。
○映画予告編「大地を受け継ぐ」
 *フクシマ農民の心を描いた話題のドキュメンタリー。予告編映像をみんなで
見てみよう。

 その他、何でもありの「オープンチャンネル」にご期待ください。ツイッター
でご質問・ご意見をお寄せください。ハッシュタグ#labornettv

〔レイバーネットTV事務局 TEL03-3530-8588〕

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世界一の被爆国で再稼働ラッシュ・・・の今。

img055 東京電力福島第一原発が緊急停止し、避難指示が出された日から4年と5ヶ月の8月11日、九州電力川内原発が再稼働した。
 そして今日10月26日、四国電力・伊方原発の再稼働に愛媛県知事が同意。「重い責任を伴う」と言うが、事故が起きたら責任をとることなんて絶対にできない。福島が証明しているではないか。

 もう2年以上の間、日本は原発ゼロでやれてきた。この期に及んでなぜ原発が必要だというのだろう。エネルギー不足なんて言い訳にはならない。
「将来の安全より、明日の生活」
 地元の人たちの中にはそう言って再稼働を望む声もあるという。でも福島の人はみんな知っている。国に嘘をつかれていたことを。
 「安全だって言ったじゃないか」
 この言葉はフクシマだけでたくさんだ。もう2度とこんなことは聴きたくないし、言わせたくない。

島根半島を望む鳥取県境港市

島根半島を望む鳥取県境港市

おいしい魚の宝庫です

おいしい魚の宝庫です

 
 福島からほど遠い島根県。山陰地方は私の住む関東地方からは行きにくい場所だが、この1年半の間に3回も訪ねることができた。これは「再稼働なんかさせない。ふるさとを守りたい」という、島根原発に反対する人たちの強い思いのおかげだ。
 そして先月、鳥取県境港市で『原発の町を追われて』の上映会が開かれた。島根原発が事故を起こしたら再稼働したら被害をうけるのは、風下にある鳥取県なのだ。地元で活動する「グリーンコープとっとり」の皆さんが準備してくださり、豊かな海の町・境港の会場に120名の人たちが集まった。
 原発のない埼玉や東京とは違う。原発の立地する町の人たちにとって、原発に反対することがどれほど難しいか、私にだってわかっているつもりだ。
 でも今は福島がある。
 福島県双葉郡双葉町がどうなっているのか、原発立地の町の人たちにこそ知ってほしい。
 その思いだけでしゃべった。
 相変わらずトークはちっとも上手くならなくて、ほとほといやになるけれど、
主催者の方が来場者の方々の感想を送って下さった。読んでちょっとホッとしている。
上映会場に展示された、鳥取県内の高校生による反戦の祈り

上映会場に展示された、鳥取県内の高校生による反戦の祈り

「こんなに集中してみた上映会はなかった。今まで3・11の現状をテレビなどでみてきた。しかし今日の生の声や姿をみて、今まで何をみていたのか? もう一度考えてみたい」
「何が悲しいって双葉町民の心がバラバラになり、国や東電の思うつぼになっていることだ」
「島根原発から15キロのところに住んでおり、大変不安に思っている。原発のあるところで、このような上映会をしてほしい」「今回は映画をみる側としていますが、いつ向こうのスクリーン側になってもおかしくないと、身につまされました」

米子空港で、飛行機の時間ギリギリまでスタッフや地元の人たちと話が尽きませんでした

米子空港で、飛行機の時間ギリギリまでスタッフや地元の人たちと話が尽きませんでした

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3/11を忘れないために・・・二つの上映会

武蔵野市民学校主催の映画上映会のおしらせ

9月5日(土)
堀切さとみ特集

13:10~柳瀬川図書館(東武東上線「柳瀬川」駅より徒歩4分)
『原発の町を追われて』(56分)
『続・原発の町を追われて』(26分)
『事故から4年が過ぎて~井戸川克隆氏(前双葉町長)が語る』(28分)
『再稼働なんてめちゃくちゃだ!~川内原発ゲート前へ!』(15分)
『絶対廃案! 8・30国会包囲行動』(13分)
*****歴史的なこの夏の記録を一挙上映*****

9月6日(日)
イアン・トーマス・アッシュ特集

13:10~『グレーゾーンの中』(2011年 89分)
 柳瀬川図書館(東武東上線「柳瀬川」駅より徒歩4分)
18:30~『A2-B-C』(13年 71分)
 にいざほっとぷらざ(東武東上線「志木」駅改札出て左) ****イアン監督も来場!『A2-B-C』上映中止問題をめぐって、自主上映とは何かを考えます***********

入場無料
問い合わせ 080-4291-4904(兼岡)

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前町長による被ばく裁判

8月21日午後2時。東京地裁101号法廷で「原発事故で失われたふるさと そして被ばくの責任を問う 福島被ばく訴訟」が行われた。原告は前双葉町長・井戸川克隆氏(写真)。被告は東京電力株式会社と国。巨大な二つを相手に、たった一人で起こしたこの裁判に、96の傍聴席を求めて多くの人たちが列をつくった。井戸川さんは皆が並ぶ昼前から、地裁前で自ら作った資料を配っていたそうだ。

いつもより高い、かすれた声が法廷内に響いた。「私は、今回の原発事故により計り知れない被害を受け、数えきれないほど多くのものを失いました」に始まる意見陳述は、避難を余儀なくされ、不安から逃れられない多くの人たちの気持ちを代弁する。井戸川さんには自分や家族だけでなく、町民を被ばくさせてはならない首長としての責任があった。だから爆発後一週間で「さいたまスーパーアリーナ」、その後旧騎西高校(いずれも埼玉県)へ町民を避難させたのだが、それにしても、双葉町民がうけた初期被ばくは甚大だった。

2011年3月12日。大半を川俣町に避難させたものの、最後まで町内に遺されたのが高齢者施設や病院の人たちだった。その避難誘導をしていた井戸川さんは15時36分、「ドン」という音とともに、ぼたん雪のように降る放射性降下物をみる。一号機が爆発したのだ。この場にいた数百人の町民と「もうこれでお終いだ」との思いを共有したという。同じころ政府のテレビ会見では「直ちに影響はない」を強調し、事態の深刻さをまったく伝えなかった。「なんだこの国は。我々を見捨てる気か」と、強い不信感を持たざるをえなかったという。

もっと問題だったのは東電が、避難誘導どころか予告もなしにベントを実行していたことだ。フクイチから5キロほどの双葉町上羽鳥地区のモニタリングポストは、一号機の爆発前にもかかわらず4613マイクロシーベルト(毎時)が記録されていた。通常の92000倍もの放射性物質が、幼子がいるにもかかわらず放出されていたのだ。

彼の陳述書の中にこうある。「私は中学生の時に、双葉町内に原子力発電所の建設が進められることをはじめて知りました。小学生の時にみた広島の原爆の惨状を思い出し『おっかないものなのにどうして造るの?』と父親に聞いたこともありました。父は『皆が賛成しているから止められない』と言いましたが、子どもながらにいつかこの原発 は壊れると思いました」

そんな少年がやがて町長になる。先祖代々、守るべき故郷。忌むべきことがあるからと、離れるわけにはいかない。トラブル隠しで町民にいぶかしがられていた東電幹部を町長室に呼び、「絶対事故は起こすな」と追及し続けた。「これからは隠しません。何でも報告します」という勝俣社長に「性善説」で応じた。すでに居座るものに対して、これ以上のことが出来る人は誰もいなかっただろう。

だからこそ「放射能は心の問題だ」という人に対し、「われわれと同じだけの放射能を被ってくれ」という言葉によどみがない。意見陳述の後、101号法廷は拍手に包まれた。女性裁判長は、それをとがめなかった。

裁判後の報告集会で「こんなに大勢の人が来てくれて・・・」と、井戸川さんは目を赤くして涙を流した。「この被ばく訴訟は、本当なら双葉郡の首長と共に闘いたかった」と言う。同じ苦しみを味わったのに、被ばくさせないどころか帰還を促す首長ばかり。孤立無援だった井戸川さんには、この四年間で沢山の仲間ができた。『美味しんぼ』で叩かれても何のその。鼻血の写真を毎日撮影し、声が出るまで訴え続けるという。

被ばくと隠ぺい、その二つに警告を発する井戸川さんに共感し、私もまた双葉町に注目し続けてきた一人だ。「皆さんの代表として、悔しさの思いはずっと持ち続けるから」。辞任を惜しむ人たちにそう語った前町長は、今もその約束を守り続けている。

川内原発を皮切りに、次々と再稼働が目指されている。先日鹿児島県に行ったが、福島のことは伝わっていないと感じた。命をかけたこの裁判のことを伝えていきたい。次回は11月19日、10時より東京地裁103号法廷にて。

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戦後70年によせて

あの戦争が何だったのか。
特攻、沖縄、空襲、原爆、南京虐殺、七三一部隊、慰安婦、飢え、銃後の母・・・

墓場に持っていく前に語ろうという人が出てきている。
敗戦から七十年。あの戦争を風化させてはならない。
この夏は、いつにもまして、戦争の映画が上映されている。

封印した人たちも沢山いた。加害者としての自覚があったから。
そして、差別されてきたから。
広島で被爆した男性は、結婚を決めた相手の親から
「黒い赤ん坊が生まれる。そんなところに嫁にはやれない」と言われたという。

被ばくの怖さは十分にわかっている。それなのに、・・だからこそ語れなくなってしまった。
そして事故からまだ四年しかたっていないのに、風化させられようとしていることがある。

かつて『父と暮らせば』で原爆を落とされた娘を演じた斉藤とも子さんは
「3・11が来て、これでようやく日本中の人たちが広島・長崎の被爆者に心を寄せてくれると思った。でも実際は違った」と言う。福島から他所へ避難した子どもが「放射能がうつる」といじめられる。「”放射能はうつらないよ”と教えてあげたい」と、戦争による被爆者が声を振り絞るのを、斉藤さんはみてきた。

被害者が声をあげることは難しい。
自分に<落ち度>があったと思ってしまうからだろうか。
不安や疑念を言うと、共同体から疎んじられる。だから黙っている。
そうやって原発は建てられ、共存してきたんだと思う。

ヒロシマ・ナガサキ・第五福竜丸・原発ジプシー・海外への放射能輸出・東海村JCO臨界事故・・・
隠ぺいされてきた放射能被害。
アウシュビッツと並ぶ残虐で非人道的な原爆投下だったのに、
毒ガスと違い、放射能は目に見えないし臭いもない。すぐに死ぬわけではなかったために、
世界の人たちはこのことを意外に知らないそうだ。

被爆国日本だからこそ、言えることがあるし、言わなくてはいけないことがある。
私がこの映画を制作するにあたって、一番言いたかったのはそのことだったのだと、
今あらためて思う。20150807genbaku

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スクールマリコ

021 島根県で三度目の上映会をした。松江市のシンガーソングライター、浜田真理子さんが2013年から始めた『スクールマリコ』。福島第一原発原発の事故をきっかけに、さまざまな立場の人とつながって考えていこうと精力的に活動されているのを、私は東京新聞の彼女のコラムで知った。恥ずかしながら浜田さんの歌を、聴いたことはなかった。

 島根県には福島県と共通の、県名が名前になった原発がある。稼働年数も同じくらい。しかも島根原発は県庁所在地の松江市にある。松江城を中心とした城下町としての歴史、宍道湖に沈む夕日の美しさが、一瞬でだめになってしまうかもしれない。
 これまでに島根では二度、上映会を開いてくれる人たちがいた。一度目は2013年末。関東から出雲市に二人の幼子をつれて自主避難したHさんがこの映画のことをホームページで知り、この地で頑張っていくためにありったけの力をふりしぼってくれた。
 当日は大雪。客足は鈍かった。それでも一家の奮闘に感動した松江市のYさんが二度目の上映会を翌年六月に開いてくれた。そこに来てくれたのが浜田さんだった。

013 一年ぶりの松江。スクールマリコは楽しかった。旧日銀の建物を市民の交流のスペースにしたという「カラコロ工房」の地下金庫室で、上映とトークをした。3・11の事故後、松江にうつった双葉町の方が親子で参加してくださり、映画に出てくる人をみて「知ってる人ばかりで懐かしい」と言った。名称未設定mariko1
 福島原発のおひざ元にいる人たちが埼玉県に避難したドキュメンタリーをみて「埼玉も福島もそう違いはないんじゃない?と思っちゃうけど」と浜田さん。・・・たしかに。島根からみたらそうに違いない。そして島根は陸の孤島。島根からはどこに行くにも遠いのだという。そんな土地で暮らして音楽活動をしてきた浜田さんは私と一つ違い。バブル世代だねと笑いながら対談はあっという間に終わり、同世代とおぼしきスタッフの人たちとスナック『birthday』で花火みたいに打ち上げをした。

名称未設定_2 翌日はYさんの案内で、宍道湖から分流する堀川を船で遊覧した。「松江の人たちは観光しかない。よその人の金ばっかあてにしちょる」とYさん。そういうものか~と思いながらも、かように人をもてなす力というのは埼玉にはないものだと思う。京都みたいに人がわんさか訪れるのではない山陰地方のこの町が、またいっそう好きになる。

2015/ 7/ 4  0:36

2015/ 7/ 4 0:36

 松江から帰って、浜田さんのCDを聴く。もう毎晩聴いている。そして彼女がくれた初エッセイ『胸の小箱』を読む。
 浜田さんはジャズに憧れ、ピアノを弾きながらシンガーソングライターを目指す。音楽をやるために松江を離れて東京に行くのだと夢みる。でも家族のこととか色々あって、東京には行けない。だったら松江で愛されるミュージシャンになって、東京から松江に聴きに来てもらえるようになろう。男女雇用機会均等法の頃。女が肩で風切る時代。大学がレジャーランドと言われた頃だ。テロもブラック企業も戦争もなかった。あることと言えば天皇崩御で自粛ムードになって昭和が終わり、それでも悩みはたくさんあった。夢をみては挫折する。彼女の歌を聴きながら、私の20代、30代のころとぴったり重なる。
 地方の「陸の孤島」に生きる浜田さんと、もうちょっと都会の(その実、ちっとも都会的ではない)私という違いはあっても自分を形成してくれたたくさんの人の顔が浮かび、<50にしてこの軽さ>と思ったりするあたりそっくりだ。けれど今だから、周りを見回す余裕もちょっぴりある。

 彼女が東京新聞に書いたり「スクールマリコ」を開催したりすることは、ある意味勇気のいることなんだろう。そんな浜田さんだからこそ、その自然体の発言や行動は心にしみた。嫌いだったこともある故郷が大切に思える、そんな気持ちを今私もかみしめている。「基地や原発がいやなら、他の場所に引っ越せばいい」という声を聞くたび、そんなもんじゃないだろうと涙が出る。ここでなければできないことがある。そういう人生をたまには省みることが、誰しもあるんじゃないかと信じたい。

 最初に島根に私を呼んでくれたHさんは、三人目の子どもを出産し、出雲市の古民家でたくましく生きている。今回、Hさん一家を訪ねることができたのも最大の収穫だった。近所の人の力を借りて五右衛門風呂を作り、10歳の長女が、大人でも難しい野菜作りの名人になっている。迷いながらもこの地に根付いていくHさんにも、心からのエールを贈ります。

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