怒りの葡萄

 「強制避難で自由を奪われた。国が設定した避難区域は行政区域による線引きで、私たちに選択の余地はありませんでした」「損害や苦痛の代償としておこなわれた賠償でも、私たちは完全に受け身でした。被害者の暮らしは十人十色でしたが、一定の賠償基準が決められました」
 そう語るのは、元日本原子力発電理事の北村俊郎さん。福島県富岡町民だった彼は、長年原子力業界に身を置きながら、原発事故で一転して被害者となった。富岡町は昨年、避難解除になったが、帰還した人は3%。「原発賠償の不条理」というインタビュー(三月七日『朝日新聞』)で、北村さんは自らの避難生活を、スタインベックの小説『怒りの葡萄』に重ね合わせたと語る。それでDVDを借りて観てみた。

 1930年代のアメリカ。凶作と大資本によって仕事も土地も奪われたオクラホマ州の農民が、豊かとされたカリフォルニアに移り住み、そこでも理不尽な差別に翻弄され、仲間や家族を次々と失っていく物語。
 主人公のトムは一家十人でカリフォルニアを目指す。そこに行けば果物の収穫の仕事があるという。家族の中では年老いた爺さんが「葡萄がどんなに食えたってカリフォルニアなんかには行かん」と言う。彼にとってオクラホマは「ここで生まれ、毎日ここで働き、死んでいく場所なんだ」
 ようやく着いた新天地は、流れ着いた人たちであふれている。「この町にこれ以上よそ者はいらん」と言われ虐げられる人々。土地があった頃は家族も結束していたのにと、トムの母は溜息をつく。仕事を求めても最低賃金でこき使われ、収穫が終われば放り出される。金持ちが遊ばせている土地はたくさんあるというのに。テントの中ではストライキが企てられるが、扇動した元牧師は殺されてしまう。
 やがてトムはわけあって、家族と離れる決意をする。別れの前日、年老いた母に告げる。「どうせ追われる身なら、あちこち渡り歩いて答えを探したい。知りたいんだ。何が間違ってて、どうすれば正せるのか」

 この映画は苦難に満ちた現実を描きながらも希望がある。
 トムが去った後、トムの母が夫にこう語る。「男は不器用でいちいち立ち止まる。人の生き死にに動揺し、土地を失っては落ち込んでる。女は川のように常に流れている。途中には渦や滝もあるが決して止まらない。それが女だよ」
「金持ちの家は子が不甲斐ないと絶える。でも庶民は雑草のようにしぶとく、誰も根絶やしにはできない。私たちも永遠に続くよ。庶民だからね」
 こんな逞しい人が、フクシマにもきっといるはずだ。

 

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風化と分断に抗う

 二月から三月にかけて、上映会で鵜沼久江さんとトークする機会が重なった。
鵜沼さんに密着してきた私にとっても、はじめて聞く話が出てきたりする。立ち止まることなく彼女は前へ進んでいるのだ。

「やっぱり避難生活が長くなると、みんないろいろ私に話してくれる。だから私が話すことは、私の経験だけではない。みんなが同じ思いをしてるっていうことを映画にしてもらったの」
 
 鵜沼さんは原発事故の後、埼玉県の旧騎西高校に避難するが、近くに納屋と田んぼを借りて農業を再開した。しかし「多くの町民は、体は埼玉にあるけど心は双葉町。次のことを考えようというふうにはならなかった」。
 そんな人たちのために、コメと野菜を作って騎西高校に持って行こうと鵜沼さんは考えた。双葉の母ちゃんたちに双葉の味を再現してもらいたかったと。しかし一次避難所の騎西高校では自炊ができない。「私たちに責任持たせてほしかった」。

 「カネ貰って贅沢してる」。そういわれて、外に出られなくなった人たちは大勢いる。「避難者に土地は貸さない、買いなさい」「双葉町で作った野菜なんて買わないよ」。それらの言葉をすべて乗り越えないと、ふつうに働くことができない。それでも昨年つれあいが亡くなり、一人で畑作業をする鵜沼さんに声をかけてくれる近所の人も増えてきた。
 ・・・笑顔で語り続けるのはなぜ?
「たしかに言えば打たれる。でも国の言いなりになって原発ができて、賠償も国が勝手に決めてきた。これからも国の言いなりになって生きていく、私はそれが嫌なだけ」

 ・・・精神的慰謝料がこの三月で打ち切られるが。
「この七年間、ひと月10万円のお金に縛られ、ずっともらえると思ってしまった町民も悪い。私にとってちっとも嬉しくないお金だった。皆さんの電気料を上げて、それで私たちの補償を賄ってほしくない。東電ができるだけのことを精一杯してくれればいいんです」

 そして「東京に来て思うのは、こんな高いビルにいて、災害があったらどうすんのかなあ。車で逃げるにしても渋滞は私らが経験した比じゃないだろうなと。災害は怒るかもじゃなくて起きるんです。それが、絶対安全って思って生きてきた私たちが、確信持っていえること」という。
 そんな鵜沼さんは、やっぱり私たちの先を見つめている人だ。

 

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渡部翠峰さんの七年

 双葉町の書家・渡部翠峰さんは、7年前に騎西高校に避難した。最初は美術室で90歳の実母と暮らし、別の教室には妻と義母もいた。

 避難した年の8月に、騎西高校の視聴覚室で書道教室を開くことになったと聞き、私は取材目的で生徒になった。
 多くの記者が翠峰先生を取材していた。私が話を伺いに行ったとき、先生は「メディアの人間でもないあなたが、なんで私に近づくんですか。好奇心か?同情か?」と聞いてきた。「この学校には何百人もの双葉町民がいる。誰に聞いてもいいような質問をしないでください」とも言われた。
 故郷が恋しくて前に進めないという人は多いが、どんな場所にいても自分の生き方を貫いてみせるという翠峰先生は、芸術家そのものだった。畳一枚のスペースがあれば十分といい、3・11後に出会った人を書道の虜にし、この七年で三人目の師範を誕生させようとしている。

師範の試験を控えた弟子を前に

 不肖の弟子の私は、途中で教室を辞めてしまったが、その後も翠峰先生は私の映画制作を応援してくださっていた。第三部が出来たとき、先生は「あなたはずっと双葉町を追い続けるでしょうから」。そして、原発事故から七年を前に、題字の表装作品を贈って下さった。

 「たとえテントで暮らすことになったとしても字は書ける」と言っていた先生は今、97歳の実母、98歳の義母、妻のために、騎西高校の近くに終の棲家を作り暮らしている。「老々介護、大変です」。
 こんな人に育まれながら、私は映画を作っている。

避難してから書き続けている仏画の入った作品

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ある哲学者からの手紙

 村上勝三先生は哲学者。東洋大学文学研究所教授を退官された2015年に『ポストフクシマの哲学~原発のない世界のために』を上梓されました。
 村上先生とは2014年に『原発の町を追われて』を東洋大学で上映して下さった時に、一度だけお会いしました。その後も何度か手紙のやり取りをしてきましたが、沖縄に拠点を移した今も福島のことを思い続けていらっしゃいます。今回三部作への感想を寄せてくださいました。
 
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 2011年3月11日。この日から始まった東京電力福島第一原子力発電所の過酷事故が引き起こした事象は、国のかたちを変え、国民の倫理を変え、一人一人の人生を変え、自然をも変えてしまった。この森羅万象に及ぶ出来事をどのように描くのか。もうすぐ6年目を迎えようとしているこの今、その6年という月日さえも、事象全体を一筋に纏め上げることを容易にはしない。この人類史的な出来事はいったい何であったのか。どのような切り取り方をしても、ほんの一つの面を描き出すに過ぎない。東京電力福島第一原子力発電所の過酷事故は科学者の良心をズタズタにし、「科学者」と名乗る鉄面皮が嘘八百を偉そうにさえずる。「科学」の客観性は失われ、「多様性」という名の、実は「強者」の暴力が、暴力だけが人々を支配する。そういう国に、私たちの国は成り果てた。事象の客観的把握を望むこともできない。
 人間にとって過酷な、道理もへったくれもないこの「地獄」のなかで生きる私たちに何ができるのか。この泥沼の中で未来を語ることか、理想を語ることか、希望を語ることか、絶望を語ることか。泥沼の中の蓮は極楽においても美しい。しかし、混沌の中に何をおいても、混沌しか見えない。それでは私たちにできることは何もないのか。「私」にできることはある。この短い一人の一生、どのような状況にあっても「誠実」に生きればよいのである。それがどれほど難しい生き方か分かっていればいるほど、容易に誠実になれる。しかし、「私たち」には何ができるのか。人々に伝えるものとして「私たち」は何を残すことができるのか。それは「記録」である。だからといって「記録」ならすべて「私たち」の記録なのではない。東京電力福島第一原子力発電所の過酷事故はこのことも私たちに教えた。はっきりしているのは「強者」の歴史は、私たちの歴史ではないということである。強者の正義は正義ではなく暴力である。そのように、「正義」がいつも弱者の側にあるように、歴史は「私たち」の側にある。弱者の側にある。
 「私たち」の側の記録は記憶になり、泥沼をも受け止めて、いずれは澄んだ水をたたえる水底になる。記録が記憶になり歴史になる。「ありのまま」を記録するのではない。「ありのまま」などないことを、「私たち」はとっくの昔に気づいている。だから、「私たち」が「私たち」を記録しなければならない。弱い者を記録しなければならない。「狡い者」、狡猾さは欠陥である。狡猾な者は強い者である。なぜならば、己を知らないからである。弱い者は誠実な者である。己の弱さを知っているのだから。だから「私たち」は社会的に疎外されている弱い者を誠実に記録しなければならない。それがこの欺きとごまかしばかりの「地獄」において「私たち」のできることである。「私たち」が自分たちの未来を夢見ることのできる唯一の手立てはこれである。

 堀切さとみ『原発の町を追われて』は弱い者を誠実に記録した作品である。その倫理性(生きることの証)の軸になるのが二人の鵜沼である。二人の鵜沼は弱い者の強さであり、双葉町長の井戸川は強い者の弱さである。牛はいつも哀愁の対象として最も弱い者の最大の強さの象徴である。
 第一部「原発の町を追われて」は目に見えない牢獄から逃れて無為の牢獄で過ごさざるをえない苦悩を描く。帰りたいけれども帰れない、しかし、もしかして帰れるかもしれない。そういう双葉町民の2011年3月から2012年3月を扱っている。すべて初めて出会うことばかりだ。落ち着いてみれば、過去との繋がりを無理矢理に断ちきられ、無為のなかで、その気持ちをどのように表現できるのか分からない。そのなかで自分の役割を見つけようとする。「現に生きて住んでいたところがありながら、戻れない」。しかし、どこかで生き、どこかに住まなければならない。ここではない。段ボールで区切られた空間のなかで、何も悪いことはしていないのに、「逃げたものは非国民」と罵られたという。そのなかでも目標を探していかなければ、生きたことにはならない。それぞれが何かをし始める。2012年3月11日、井戸川町長の「ここで終わるわけにはいかない」、「もう一踏ん張り」で第一部は終わる。
 第二部「二年目の双葉町」は2014年4月から2013年3月にわたっての時期である。帰りたいけれども、帰れるのかどうかまだ分からないので、帰らないか、移住する。双葉町ではない福島県に帰る人。双葉町への一時帰郷。町役場を埼玉県におきつづける井戸川町長不信任。三度目の不信任が可決される。鵜沼友恵さんの一時帰郷に同伴する。牛が寄ってくる。迎えてくれるが、何もできない。もう無為ではない。前に向かわざるをえないが、どちらが前なのか。町民が「ばらばらになる」。2013年2月7日町長退任式が騎西高校で行われる。「もっと避難させなければならなかった」。「子どもたちのため」。「福島県内が危険だと叫ぶ首長は私しかいなかった」。3月12日、国会前、鵜沼友恵さんの演説。「人として生きていきたい」。第二部最後は「双葉町はどこへ行くのだろう」というナレーションで終わる。移住と復興の難しさが凝縮された表現である。堀切はさらに双葉町のその後を追い続ける。
 第三部「ある牛飼いの記録」は2014年から2017年。鵜沼久江が耕運機を覚束無くもどっしりと動かすシーンから始まる。第三部は、福島で牛を飼っていた鵜沼久江が埼玉で農業をはじめ、自らの営みを土地と土地の人々に根づかせようとする日々を軸にして展開する。鵜沼久江は友恵の母親である。彼女自身母親である鵜沼友恵は、本編第一部と第二部において、周りは揺れ動いても、そこから離れては双葉町民の生活が見通せない、そういう重石ないしは錨の役割をしていた。第三部だけを観た者には、友恵を通して垣間見える双葉町民全体の有り様に到ることはできないが、第一部から観る者には、鵜沼母娘の生き方が本編全体の、いわば「背骨」になっていることがわかる。過ぎ去ったものどもへの哀惜と定住の難しさのなかから新しい喜びへの方がが見え始める。

 映像作品は、文学作品以上に時間芸術である。何分か巻き戻すのは、何頁かめくり返すのと同じようにできたとしても、同じように確かめ直すことができるのは、筋と文字情報だけである。それらの総体としての映像は、一部を切り離すと視覚の連続性を保証できなくなる。切り離された二つのシーンの連続性は筋と文字情報によって支えられる。視覚は現前性を成立根拠にするから、それだけでは連続性を支えられない。逆に言えば、視覚は「ほんのちょっと前」と「ほんのちょっと後」との間にあるから、その役割を十分に果たす。前後から切り離された静止画の意味は、見ている者の思考によって補われて初めてその意味を獲得する。ドキュメンタリー作品において、時間の流れは映像の流れとは別に確保されなければならない。映像が流れてその意味を表出しても、映像によって語られなければならない実時間を表出したことにならない。本作品においては字幕によって実時間が示される。このことは大事なことである。もう少し期日に関する字幕が強調されてもよかったかもしれない。作品の製作者は、作品を鑑賞する者がどれほど注意深く、どれほど当該の知識をもっていても、いつも鑑賞する者よりも対象について詳しい。
 堀切さとみはこれからも双葉町民を追い続けるだろう。そのことは同時に、新しいドキュメンタリー方法論を見出していく過程になるだろう。事実を対象にするドキュメンタリーと物語の映像化であるドラマ作品は異なる。誰もが異なると考える。しかし、その異なりを映像の異なりに仕上げるのは難しいだろう。第一部から第二部へ、第二部から第三部へ、いわば「映像の思索」を深めてきた堀切がこれからどのような境地を切り拓いていくのか。弱者としての「私たち」はそれを待ち望んでいるのではないだろうか。

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ビデオアクト上映会

ビデオアクトは、映像を制作したり教えたりする人が集まったグループだが、隔月で自主上映会を開いている。88回めが12月12日に行われ(東京・飯田橋)『原発の町を追われて』の三部作を一挙上映した。
司会の土屋トカチさんは、三分ビデオ講座の講師。そして、私が最初に作った「神の舞う島」も、ここで上映してくれた。八年前のことだ。
「神の舞う島」は、瀬戸内海に浮かぶ祝島(いわいしま)を撮った短編だ。人口700人(撮影当時)周囲12キロ。中国電力・上関原発の建設予定地から3・5キロの対岸に浮かぶこの島の人たちは「原発が出来たら、海の生態系が壊れる」「子どもや孫が故郷に帰って来れなくなる」といって、もう30年以上も反対運動を続けている。
闘う人たちを撮る・・・これが私の思うドキュメンタリーだった。ほどなくして東日本大震災と東京電力福島第一原発事故が起き、祝島の人たちが訴えてきたことが現実になってしまった。
原発が立地する町では、反対運動はおろか原発の是非を語ることさえ難しい。事故の不安を心のどこかに秘めながら、考えないように暮らしてきた人も多いのではないか。でも、一番被害を受けるのは、その立地する町の人たちだ。
・・・事故が起きて終わりなのではない。原発と共に暮らした人たちの声を聴きたい。そこから始まると思った。
祝島がなければ、双葉町を撮ることはなかったかもしれない。そして私はやっぱり、闘う人を撮っている。

ビデオアクトのチラシがとても素敵だったので、これをパッケージにDVDをつくりました。
デザインは土屋トカチさん。『原発の町を追われて』三部作のリニューアル版。102分・3000円です。

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『原発の町を追われて・3』上映会

レイバー映画祭2017 映画の後に話す鵜沼久江さん

7月22日のレイバー映画祭を皮切りに、「双葉町・ある牛飼いの記録」の上映会を始めています。
8月6日にはひばりが丘の居酒屋で、8月9日にはこれまで何度も『原発の町を追われて』を上映してもらった武蔵野市民学校でやりました。
ひばりが丘には、お店の常連さんや近所の方々が多数来てくださって、ふだん映画館には足を運ぶことがないという人もたくさんいました。こういう人たちに映画を観てもらえるのはとても嬉しいことです。

福島原発事故のその後がどうなったか、世間の関心はかなり薄れていると感じます。でも、双葉町の避難者・鵜沼久江さんの姿をみて「また仕切りなおさなきゃ」と言ってくれた人がいて、パート3を作ってよかったと思います。
双葉町をはじめとする警戒区域の人たち、そして「自主避難者」といわれる人たちも、一人一人が頑張って、いつ終わるかわからない避難生活を生き抜くしかない。その頑張りを支えるのは、私たちがどれだけ避難者のことを想像できるかだと思います。
逃げてきたくて逃げたわけではない。それを理解することで、避難者の生き方も変わっていく。

ぜひ自主上映会を開いてください。パート3の上映時間は30分と短いですが、たっぷり討論するにはいい長さかなと思っています。

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いつかはあなたの街のことに

22日、レイバー映画祭でパート3を上映しました。上映後、双葉町の牛飼い・鵜沼久江さんも登壇し「第二の双葉町を作らないでほしい」と訴えました。大好評につき、これから自主上映をしていきたいと思います。
まず第一弾は8月6日(日)場所は西武池袋線「ひばりが丘」駅北口から徒歩2分。『熊の子』というダイニングギャラリーです。第一部(短縮版)、第二部、第三部と合わせて上映する予定です。(上映時間は92分)

2011・3・11からあまりにもいろいろなことがありすぎて、福島第一原発事故のことは記憶の彼方に追いやられています。
時間の経過とともに世間が忘れていくのは仕方がないことだと思います。
でも、自然災害と違って加害者がいるのに誰も責任をとっていない、そして、今なお苦しい避難生活を余儀なくされている人たちの存在が知られることもないままに、再稼働を待ち望む声がある。だから、今またこの映画を観てほしいと思ってます。

上映会を通じて三年前に知り合った友人が、職場、自宅で上映会をやって下さって、今度は居酒屋でやろうということになったのです。西武線沿線の方、ぜひおいで下さい。友達ができるかもしれません。

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『双葉町・ある牛飼いの記録』

お久しぶりです。『原発の町を追われて』のパート3ができました!
7月22日(土)東京・田町交通ビルで開催される「レイバー映画祭2017」で初上映します。(時間は11時10分から)
ぜひ見に来てください!!

埼玉県にある旧騎西高校に避難してきた、福島県双葉町の人々を追い続けて早6年。
三年前に騎西高校は閉鎖しましたが、双葉町は依然帰還困難区域。そればかりか中間貯蔵施設の建設が予定されていて、帰れるどころではありません。「埼玉は第二の故郷だ」といって残り続ける人、「双葉に少しでも近いところがいい」と福島に移る人、さまざまですが、ふるさとの我が家ではない場所で今までと違った生活を余儀なくされていることは同じ。放射能による被ばくへの不安というだけが問題ではないのです。
今回の映画は、騎西高校の近くで農業を営んでいる鵜沼久江さんを中心につくりました。久江さんは福島第一原発のすぐ近くで、50頭の牛を飼っていましたが、牛たちをつれて避難することはできず、かわりに野菜作りを始めました。殺処分に反対し、警戒区域の中で牛を飼い続ける「希望の牧場」の吉沢正巳など、素晴らしい牛飼いもいますが、ほとんどの牛飼いたちは涙をのんで牛たちを手放さざるをえなかった。久江さんもその一人です。
久江さんは、一作目、二作目に出てくれた鵜沼友恵さんのお母さんです。私は友恵さんに「映画を作るからには、一時の流行事で終わらせないで。私たち避難民がどうやって生活を取り戻していくのかを記録し続けて」と言われました。それで、久江さんにカメラを向け始めたのです。
双葉町のことがメディアに取り上げられることは、ほとんどなくなりましたが、避難先で必死になって生き直しをしている人たちがいることを知ってほしい。
ぜひ観に来てください。

http://www.labornetjp.org/news/2017/0722kokuti

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あれから6年

3月11日。埼玉県加須市にある双葉町社会福祉協議会の建物で、自治会主催の慰霊式が行われました。
午前十時から集まった人たちと共に、これまでテレビで放送された双葉町特集の録画を観ながら、話に花が咲きました。
私は埼玉に避難してきた双葉の人たちが身近なところにいてくれるので、3・11は今も日常の中にある気がしています。とはいっても、事故前と変わらぬ生活をしている私と、何もかも双葉に置いてきてしまった人たちとの間には、大きな違いがある。そのことに気づくとき、笑いながら話してくれる双葉の人たちにとって「ともに生きてるつもりの私」がどう映っているのだろうかと、ふと考えてしまいます。

双葉町の方角に向かって祈る

双葉町の方角に向かって祈る

双葉町社会福祉協議会の入口横に設置された献花台

「六年たつと、いろんなことが思い浮かぶなあ」
始めの数年間は時間の感覚がなかったし、考える余裕もなかった。今だからこそ、話したくなったという人も。
震災直後のこと。原発が誘致された頃のこと。
記憶の中にあることを語りつなぐことができたら。
双葉という町は、決してなくなることはないのだと思います。

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ラジオで伝える双葉町の6年 

震災の年の四月。1400人の双葉町民の避難所となった旧騎西高校

震災の年の四月。1400人の双葉町民の避難所となった旧騎西高校

毎年3・11になると、関東に住む私たちも、あの時のことがよみがえってきます。
体験したことのない大きな揺れ、電車が止まって明け方まで家路を歩いたこと、計画停電で町の中が暗かったこと。
多くの人たちが日常を取り戻して行き、事態の重大さの記憶も薄らいでいく中、
今も「帰宅困難」のままの人たちがいます。
3月11日にNHKラジオで、東日本大震災と福島第一原発の事故から6年の、双葉町を特集することになり、
私は取材とコメントで参加しました。
ラジオなのでもちろん音声のみですが、これまでに私が出会った双葉町民の、思いがあふれた50分のドキュメンタリーです。

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2017年3月11日(土)16時05分~16時55分 
NHKラジオ第一
ラジオドキュメント『かなわぬ願いをかかえたままで~市民が見つめた双葉町・避難者の六年』
構成・ナレーション 鹿野睦 
取材・コメント 堀切さとみ
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原発避難という、誰も経験したことのないことに直面させられてしまった人々。
彼らは取り残された人たちなのではなく、私たちの一歩先を歩いている。
私はそう思っています。

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